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コロナ禍での開業 自宅を改装した不便なパン屋さん 準備不足な出発 相談した人からは否定的な意見が多く、 やめときなと、とりあえずもう少し待ってからと たくさん言われました。 「今じゃない、もう少しよく考えたら?」と でも、その頃にはもう周りの声は 何も聞こえない程、よく考えてました。 私は高校卒業後に進学はせず、どんな形であれ パンの世界で働くことを決めました。 1日でも早くパン職人に近づきたくて仕方なかった。 9割以上の子が大学へ進学して行く中で フリーターのような状態になることを、 先生からも同級生からも 恥ずかしいと思われていること、 夢や想いを何も説明できない自分が悔しかった。 でも私は世間の目は関係なく 少しでも早くいろんな場所で働き、 いろんな経験を積みたかった。 だから、それを証明するために 同い年の子達が大学を卒業する24歳には 理想とする形でお店を開きたいと思っていました。 でも、 こんな私を大切にしてくれた今の夫との出会い、 結婚、闘病、出産、任された大きな仕事、 子育てに、早朝激務、慣れない経理、 常に何か勉強しなきゃ追いつけなかった。 お金も貯めることができず、 思うように前に進めなくて 夢に届かないもどかしい日々。 夢を叶える一歩を踏み出す良いタイミングなんて 待ってても、いつまでも訪れなかった。 「お金が貯まったら」 「子育てが落ち着いたら」 そんな風に言われるたびに、 そうゆうのなんだか寂しいなって感じて、 胸がぎゅっと苦しくて虚しくて。 そんな毎日の中で答えを探しているうちに、 「チャンスや機会は自分で作ること」 あの時そう言われた言葉や景色を思い出して 決心しました。 どんな形でも、恥ずかしくても未熟でも、 踏み出せなかったことを後悔はしたくない。 まずやってみる、それしかない! そう思って、開業に踏み切りました。 専門学校へも行けなかった。 海外へ修行へも行けなかった。 尊敬する人の元でパンの修行も出来なかった。 でも、 毎日続けたら必ず出来る様になるから... 学校のテストの日もバイトが激務の日も 毎日パンを焼き続けた。レシピを考えた。 右も左も分からない19歳から 一から全て手作りのパン、過労働を経験して、 作業効率や安定したパンを焼くことが 大切な大手企業でも、大切な想いをぐっと 胸に抱えて忘れないように働いて、 ホテルの朝...

きっかけ

「私にはパンの道しかない。」 そう強く思い始めたのは高校2年生の時、 友達の紹介で入ったバイト先の店長の言葉で 自分の中の本当の気持ちを許せたことが きっかけでした。 私は小さい頃から、人見知りで、大人しい、 何考えてるのかよく分からない、やる気がない そんなイメージを持たれがちの子でした。 こんなにも怖がりで、無知で、 大人になったら自分はどうなるのか不安だった。 でも何かやってみたい気持ちは 喉の奥につっかえるほど熱く中にあって。 私はどんな風に生きていくんだろう。 何をすればこの気持ちは伝わるんだろう。 どうやったら自分を変えられるんだろう。 誰かと心の中を入れ替えられたら伝わるのに。 いつも、そんなことばかり考えて、 周りの人の話が耳に入ってこず上の空。 いつの間にか傍に居てくれる人も減って。 父親が教えてくれたスポーツや運動も 母親がサポートしてくれた友達付き合いも どれも上手くできなかった。 家族でさえ、年下の妹や弟でさえ、 キラキラ眩しくて、遠い存在に見えた。 自分で自分が恥ずかしい。 思っている熱い気持ちも何も言葉にできない。 自分の気持ちに自信がないから 大切な気持ちを否定されるのも怖いから 何も声を発せないまま。 変わりたい変わりたいって 思ってばかりで、何も行動できなくて。 泣いてばっかり。 どんどん自分のことが嫌いになっていた。 それが高校2年の時に働いたバイト先の ベーカリーレストランで 素晴らしい店長に出会い 私の中で何かが変わり始めました。 その店長は 子供な無邪気さも兼ね備えながら 指示も的確で、何人分も働き、 前を行く後ろ姿は目で追えない程だった。 1人で店の全てを見て、いつも お客様や従業員の次の行動を予測し、 どうやったらお客様が喜ぶか 従業員を奮い立たせられるか そのことに全身駆使されているように感じた。 「はじめて描いた夢はなに?」 寄り添って声をかけてくれた そんな質問にも、その頃の私は パン屋さんを開きたいとさえ言えず 「でも私は不器用だし、熱い物苦手だし お菓子作りも苦手だから何も無理なんです」 そんな風にネガティブな言葉ばかりでしか 答えられなかった私に、 「どんなことでも誰でも毎日続けたら 必ず、出来るようになるよ!」と話してくれた。 その言葉達は無知すぎる私の身体中に響き渡り 私の中で何かががらりと変わった。 自...